日本のオートバイの歴史について

浜松とオートバイの関係

日本のオートバイの歴史は浜松のメーカーの歴史と密接にかかわっています。

なんといっても今を代表するオートバイメーカー4社のうち
3社が浜松が発祥なんです。

その発祥は今のホンダの創始者の本田宗一郎が軍で使用していた発電用の
エンジンを自転車につけて走らせるという画期的な
アイデアを思いついたところから始まります。

もともと戦前にも浜松でオートバイの開発は進んでいたようですが、
太平洋戦争ですっかり頓挫したということです。

その後は、外国のオートバイを分解しては、
構造の把握に努めて何とか国産の
オートバイを作りたいと調べに調べます。

そしてついにドリーム号をの発表にいたったのでした。
それは終戦から4年が経過したときでした。
その後ホンダは販路の拡大のために本社を東京に移動します。
この移転と時期をあわせるようにカブF型と呼ばれる原動機付き自転車を発売します。

これが大ヒットし、ここから日本にオートバイメーカ-が乱立する時代が到来しました。
浜松にも昭和30年代には30ものメーカーがあったということです。
そのころにヤマハやスズキも浜松でオートバイの生産を始めます。

ヤマハはYAMAHA125(YA-1)というバイクで第3回富士登山レースに参加
して初出場で優勝します。
このことで一気に一流企業の仲間入りを果たしたのでした。

スズキもダイヤモンドフリーというバイクで富士登山レースに優勝しそこから、
ブランドが浸透していったといわれています。
30ものメーカーが濫立していた時代もありましたがそのうち淘汰が進み今の
3社となったのでした。

そんな歴史のある浜松のオートバイ産業なんですけど、まだまだ発展していき
そうな感じがあります。

最初は自転車にエンジンの付いたものだったんです。
まさにモーターサイクルだったわけです。

日本バイクの時代へ

その後の歴史はみんながよく知っている歴史になると思います。
GPレースでは
日本のメーカーのバイクが常に上位を独占する時代が続きました。
それだけ日本のバイクの性能が優れていたといえると思いますね。

日本はバイクの生産国としては後発ですが、
日本人の器用さと探究心が生み出したバイクは
外国の製品を参考として製作をスタートしたことは事実ながらその後の開発に
おいては世界をリードする存在になったといっても過言ではないと言えます。

そういう意味では、日本独自の技術を満載した現代のオートバイはまさに日本を
代表する産業になったというわけです。
今では、世界各国で日本のオートバイが絶賛を浴びています。
丈夫さと扱いやすさと価格の手軽さで一気に人気を浴びたんです。

そういう日本のオートバイメーカーの発祥の地が浜松なのです。
これからも浜松が発祥の日本のオートバイは世界を驚かせ、
また喜ばせることになるのではないでしょうか。

これからの各社の戦略から目が離せないとので、
本当に楽しみに見守っていきたいと思います。