日本のオートバイのロードレースでの活躍について

オートバイの活躍

日本のオートバイが世界で大変高い評価を得ていることを周知の事実です。
その日本のオートバイがレースでどのような活躍をしたのか振り返ってみたいと思います。
日本のオートバイは主に運搬などに使用する仕事用のものが主流でした。
それが戦後、数年たって自動車の発展とともに、その役割を自動車に譲ることになり
それからはまさにモータースポーツのためのオートバイになっていったんですね。

日本のオートバイのそういう方向性がはっきりしてきた1950年代に、
より趣味性の高いオートバイがどんどんと開発されて発売されていきました。
日本にもモータースポーツの土壌が少しずつ育っていったんですね。

とはいうもののオートバイメーカーの売上を支えているのは
やはり商用に使用できる低排気量のオートバイでした。
そんな時期に本田宗一郎がマン島TTレース(イギリスGP)出場を発表しました。
当時の本田技研工業は、それほど経営がうまくいっているという状態ではありませんでした。
それでも、レースへの出場を目指したのは、本田宗一郎個人の夢もあったでしょうが、
世界の舞台で活躍する日本のオートバイを見せることで日本のオートバイが
世界に通用するということを証明したかったのではないかと思いますね。

ホンダF1に参戦

ホンダがレース活動を始めた翌年、世界の舞台で初めて
ホンダのオートバイで日本人が表彰台に立ちます。
本当にすごいことだと思いますね。
まだ、前後の混乱期を切り抜けて、十数年しかたっていない時期に表彰台に立ったんですからね。
本田宗一郎も喜んだことだと思います。
ホンダは2輪の世界だけでなく、自動車の最高峰F1のにも参戦するなど、
本田宗一郎の意思を全社員が受け継ぎ、目覚ましい活躍をしたことは言うまでもありません。
本当にすごいことだと思いますね。

誇れる日本製バイク

その後のオートバイのロードレースは日本のメーカーがしのぎを削る時代が続きます。
日本のメーカーが交代でチャンピオンをとるような事態になりました。
本当にすごいことだと思いますね。
それは決して運が良かったとかそういうことではないとおもいますね。
ものづくりを大切にする日本人の本来の気質、それが見事に花開いた結果だったと思いますね。
その結果が優勝を争う状況に日本のメーカーをのぼりつめさせた要因だと思います。
そして、現在に至るまでその状況は変わっていません。

やっぱり、日本のオートバイは格好いいと思いますね。
まあ、そんな感覚的な言葉で表現するのは適切ではないかもしれませんけどね。
あのとき、本田宗一郎が世界のレースの舞台に打って出るという決断をしていなかったら、
今の日本のオートバイはここまで世界で評価を受けることもなかったかもしれませんね。
そういう意味では日本のオートバイを語る時にレースを抜きにしては語れないとおもいますね。
まさに日本のオートバイは世界のレースに出て活躍したことで、
ここまで発達できたといってもいいすぎではないと思いますね。