日本のオートバイの発展の裏にはレースの存在が

オートバイブームの到来

高度経済成長時期を経て、日本のメーカーは世界の有数のメーカーに負けず、
様々なレースに参加しました。世界中のメーカーを見ても、日本のメーカーというのは
精密な製造工程において、正確な加工が可能となっています。

オートバイメーカーはその優秀な技術を使い、出力が高く回転数の高い並列多気筒エンジンを開発し、
世界中のレースに参加してきました。ホンダの参戦を皮切りにヤマハ、スズキ、カワサキの各社も
レースへ参戦し、世界を相手にしながらも国内でも競争は起こり、
次第にオートバイのスペックが向上していくこととなりました。
その向上したスペックを持った日本のオートバイは世界中のありとあらゆるレースにおいて
結果を残し続け、世界的にもニーズが増えていくこととなりました。
そうして、日本はオートバイにおいても技術国となったのです。

車の普及

しかしながら、オートバイのブームは長くは続きませんでした。
当初は実用性を重視されていたオートバイですがより利便性の高くコストパフォーマンスの良い
乗用車が台頭してくると、オートバイのニーズは普段使いから趣味へと移行していくこととなり、
販売台数の伸び方は次第に減っていったのです。

1980年代前半になると、今度は国内での多くない客層を抑えるために競争が激化します。
中でも、業界1位のホンダと業界2位のホンダがユーザーの枠を確保するためにしのぎを削りあい、
アメリカにおいても争うようないわゆる『HY戦争』が起こり、
今でもその因縁は続いていると言われています。
この一連の騒動から、技術が増大した中でのラインナップのインフレからオートバイの市場価格が
急落し、1980年代後半に巻き起こったバブルの影響もあって
日本に再びオートバイのブームが訪れることとなりました。

バイクブームの終わり

しかし、バイクブームの陰でバイクが社会問題になりました。
ブームが起こったことにより増えたライダーの中に、暴走族に身を落とす者が急増したのです。
この暴走族の影響により、非常に危険な走行や騒音の被害、そして交通事故が頻発するようになり、
社会的にバイクは『危険な乗り物』のイメージを持たれることになったのです。
その影響により、再びのバイクブームは終焉を迎えたのです。

1990年代においては発展途上国のマーケットが拡大することとなり、
東南アジアなどを中心に市場は広がっていったのです。
2000年代にはその市場からまた国内に向けたバイクの生産も始まっていきました。
近年は、国内のニーズが変わってきました。都市部での駐車の取り締まりが強まったり、
環境対策における排気ガス規制が強まったりした影響から、
オートバイはブームの時に比べてわずか10%にも激減しました。
オートバイより乗用車のニーズが増えたことにより、市場が縮小したのです。
そのため、趣味の世界においてもライダーが減少したのです。
現在では配達業務を中心に、機動力の高さを買われています。