宿願を果たしたスズキ

スズキの原点

ホンダ、ヤマハ、カワサキと共に、日本のオートバイメーカーの
4強と称されるスズキの歴史は、今から100年以上前の1909年10月に
鈴木道が、静岡県浜名郡天神町村で鈴木式織機製作所を興したことに始まる。
7歳ごろから農家の両親の手伝いにかり出され、綿摘機械の音をききながら育った道雄は、
手先が器用な子供だった。

7年契約で徒弟として今村棟梁の元で修行を始めた少年は、
今村棟梁が織機造りに転向したことから自らも機械製作の技術を習得した。
年季が開けた後、母親のために織機を作ったが
これが従来品の数倍性能が良かったことから、注文が殺到し起業の起爆剤となった。
このときに、蚕小屋の二階で創業されたのが、鈴木式織機製作所である。
自動織機製造時代はすぐれた物づくりで、数々の賞を受賞し特許・実用新案は120件を超えた。

道雄が世に出したサロン織機は、複雑な格子柄を織るときに膨大なカードを節約できる画期的製品として、
東南アジア各地へ輸出され、鈴木の名前は既に国境を越えたものになっていた。
鈴木はこの時代から、耐用年数が長く代替需要が見込めない自動織機から多角化の方向を探していた。
思案する道雄の先に見えたのは、今後の成長産業の花形となるにふさわしい自動車だった。
いつしか自動車産業への転換を検討するようになり、それが実現されるのは終戦後であった。
戦争が終わると、二代目社長鈴木俊三の号令のもと、
ホンダと同じように自転車補助エンジン試作に取りかかった。

鈴木自動車工業

スズキは既に1936年時、自動車の試作車を完成させたが、戦争のため研究は一時中断。
戦後すぐに再開し、1954年に試作車を完成させ、
この年に鈴木自動車工業株式会社へ社名が変更された。
その翌年の昭和30年に軽自動車スズライトが発売された。
自転車補助エンジンというのは、市販の自転車に取り付けるモーターである。
スズキが自社製品を世に出すのは1952年で、第一号試作機であるアトム号の
パワー不足を大改良して完成させた自転車補助エンジンがパワーフリー号であった。
パワーフリー号を披露したのは地元である浜松の凧上げ会場で行われた。
先頭に社長の鈴木俊三、設計者を含む以下5名の社員が会場をパレードした。

後に続くトラックの車体には、日本一のバイクモーターパワーフリー号と誇らしげに書かれたていた。
当時のライバル社製造の自転車補助エンジンに比べパワーフリー号は、
一歩先を行く技術と賞賛をされ、発売直後から売り上げはすこぶる順調だったという。
翌年の1953年、排気量60ccのダイヤモンドフリーが開発生産され、
富士登山レースで堂々優勝することになる。

日本縦断ツアーと銘打った北海道、鹿児島間3000kmの無故障走破で衆目を集めることとなった。
続く1954年にはコレダ号が誕生しオートバイ製造に本格的に舵がきられたのである。
TTと呼ばれる、世界で最も伝統があり、
過酷と評されるのオートバイレースが英国のマン島で開催される。
ここで日本人として初めて優勝旗を獲得するのはスズキの50ccで
RM63と呼ばれていたマシンを駆った伊藤光夫氏であった。
日本モーターサイクル界の宿願をスズキが果たしたのだった。