ヤマハ発動機とオートバイ

楽器から発動機へ

1887年に創業された、
我が国の音楽楽器のトップブランドヤマハの本体から生まれたのが、ヤマハ発動機です。
両社ともYAMAHAのロゴタイプを用いているが、その形は微妙に違います。
中央部のMの谷部分が接地していないのが楽器のヤマハで、
地に接しているのがバイクのヤマハです。

ヤマハは、山葉寅楠が1888年に、
静岡の浜松で日本で最初にオルガン製造を開始したことから始まります。
最初は、オルガンやピアノを製造していたが、
軍靴が響く世相に移ろう中、軍の命令でプロペラの開発に携わるのです。

楽器の製造は一時休止に追い込まれ、
浜松のプロペラ工場が英国軍艦の攻撃で全壊し終戦を迎えました。
戦後はハーモニカの製造等から着手し、1947年にはピアノ製造も復活したのです。

この頃、経営方針が変わり、楽器製造の専業メーカーから、
生活に彩を加えるという趣旨の、経営の多角化が図られました。
そして、プロペラ製造やエンジン製造で取得した技術を元に作られ
1955年に発売開始されたのが、赤トンボです。

赤トンボ

オートバイ製造部門は、機を同じくして分社化され、ヤマハ発動機が設立されました。
赤トンボは、排気量は125cc、最高出力5.6馬力、
最大トルク0.96kgmで名車と謳われた、当時、ナンバー1企業であったドイ・DKW社のRT125を
模した事は良く知られています。

赤トンボことYA-1は、発売年の1955年7月10日の第3回富士登山レースでは見事優勝をかっさらい、
3ヵ月後の第1回浅間火山レースでは125ccクラスの1位から4位までを独占したのです。
楽器のヤマハが、オートバイもヤマハと一気に名声を高めた出来事でした。
YA-1の開発は1954年3月に始まり、2カ月後、
同年の夏には10台の試作機をそろえて10,000kmの実走テストが行われました。

発表まで一年にも満たない早業です。
生産は高精度、高品質を維持するために1台1台手作業による仕上げが施され、
厳しい品質検査パスした製品だけが市場に出された念の入れようでした。
価格は13万8,000円と、神武景気に沸いた当時でも破格中の破格です。
以降のヤマハ発動機は、まさに快進撃を続けます。
世界中に販売拠点を広げ、YAMAHAはオートバイの代名詞となりました。

TOYOTAに技術提供

また、1966年には、トヨタが初の本格的スポーツカー2000GTを世に送り出すとき、
技術供与を行ったのはヤマハ発動機です。
以来、トヨタとヤマハの関係は深く、資本提携も行っています。
また、自動二輪車以外にも、モーターボートや漁船、
船外機や水上オートバイ産業用ロボットなどの製造も手がけるようになりました。

船外機のシェアでも推計世界第一位を誇っており、
船外機をヤマハと保有名詞で呼称する国もあります。
前期決算では、ヤマハ発動機の売り上げは、1兆2940億円であり、
そのうちオートバイは7割の約9142億円を占めます。
日本でのセールスは5%に過ぎないが、オートバイの売り上げの95%を海外販売が占めるのです。
同社の知名度と、オートバイに対する信頼は絶大なと言っても過言ではありません。